円空仏と仏師

円空仏と仏師

東京国立博物館140周年 特別展

展示されている円空仏(1)

展示されている円空仏(2)

円空と長間薬師寺

円空と高賀神社

円空仏と仏師

円空と千光寺

円空と栃尾観音堂

仏師とは

仏師の歴史(1)

仏師の歴史(2)

円空仏と仏師

円空と栃尾観音堂

日本全国を行脚し数多くの仏像を遺した、江戸時代前期の遊行僧である円空。

円空と栃尾観音堂の関係

日本全国を行脚し数多くの仏像を遺した、江戸時代前期の遊行僧である円空。生涯に12万体もの仏像を彫ったと伝わる円空の仏像は、簡素なデザインと稚拙にさえみえる素朴な造形ながらも、不思議な微笑みをたたえています。そんな円空が刻んだ仏像が4体もある、天川村栃尾にある『栃尾観音堂』。お堂は小さいながらも、おそらく集落の方々の手で毎日ちゃんと開け閉めされ、日中であれば誰もが拝観できるようになっています。きれいに手入れが行き届いていて、大事にされていることが伝わって来ます。

栃尾観音堂について

関西では珍しく、江戸時代初期の円空仏が祀られている栃尾観音堂。ラフな彫り方で荒々しく見えながら、本当に優しい微笑をたたえている、円空仏らしい愛らしい仏像があります。お堂は決して大きなものではありません。しかし、駐車場は無料で公衆トイレも設置してあり、毎日ちゃんとお堂は開け閉めされていて、事前予約なしでも誰でも円空仏をお詣りできます。地元の集落の方が大事に守っていることが伝わってきて、とても気持ちよくお詣り出来ます。

円空と栃尾観音堂

12万体もの仏像を彫ったとされる円空ですが、岐阜県生まれで主に北国へ向かうことが多かったため、関西で円空仏が見られるお堂は多くありません。しかし、奈良県天川村の山中の小さなお堂『栃尾観音堂』には、4体もの円空仏が祀られているのです。円空仏が群像として見られるのは、近畿以西では天川村だけなのだそうです。円空は、40代に差し掛かった寛文12年(1672年)から延宝3年(1675年)に、二度大峯山に入り、山上ケ岳などで厳しい真冬の越年修行を行いました。その際に栃尾の集落の小さな祠にこもって仏像を彫ったとされています。

栃尾観音堂の御尊体

三百余年前から村人の厚い信仰によって守られてきた栃尾観音堂の御尊体は弘法大師一夜の作と伝えられてきたのですが、昭和39年頃より円空佛に深い関心を寄せていた地元の一部の者が円空の像ではないかと熱心に問いかけていたところ、昭和47年秋の学術調査となり、これによって江戸初期の遊行僧「円空」(1632~1695)の作であることが確認されました。今でこそ、作風からして円空らしいと思えますが、その当時はそんなことを言い出すのもはばかられたのかもしれません。境内の説明には、「弘法大師一夜の作と伝えられてきた」とあります。弘法大師伝説が幅広いエリアで見られる関西らしいです。

栃尾観音堂への道のり

4体の円空仏が祀られている『栃尾観音堂』への道順は、309号線を南下して天川村へ入り、村内の大きな交差点「川合」を53号線へ。天河大弁財天社や天の川温泉の表示をスルーして直進すると、10数分で看板が見えてきます。川を渡ってすぐのところにあり、道幅は広くありませんが、民家も観光客も少ない場所なので、運転もそれほど難しくはありません。

関西で貴重な円空仏

円空の作品が群像として見られるのは近畿以西では天川村だけで、非常に保管状態もよく、評価の高い円空の作品が伝えられているのは珍しく貴重です。 江戸時代、放浪の僧円空は大峯の地で修行されました。寛文十二年から延宝三年までの間に二度入峯し、山上ケ岳や小篠の宿、笙の窟、鷲の窟など厳しい冬のさなかの越年修行を行っています。この大峯山入峯の時に残された仏像のなかに、栃尾観音堂に安置されている聖観音菩薩立像、大辨財天女立像、金剛童子像、護法神像の四体があります。どのお像も円空の作風の特徴をよく表わしており、見るものを惹き付ける穏やかな微笑みをたたえています。小さなほこらに四体もの円空仏が納められていること、また、深い掘りのものは珍しく、特に護法神像のなかでも、円空が初めて彫ったものとして注目されています。

祀られている円空仏

栃尾観音堂では、いずれも円空作の4体の仏像が祀られています。円空の「護法神像」の最初の作品もあります。中尊が「聖観音菩薩立像」(像高137.0cm)、向かって左手に「大弁財天女立像」(像高85.7cm)、右手には「金剛童子像」(像高84.3cm)と「護法神像」(像高49.7cm)。いずれも杉材が用いられていて、円空が法隆寺に住んでいた1670年~1671年に、大峯山に入山した際に刻んだものとされています。弁財天社が有名な天川村に、こんな穏やかな表情の弁財天さまがいらしゃるのも面白いですね。また、生涯で多数の護法神像を刻んだ円空ですが、こちらがその最初の一体だったとされており、とても貴重なものなのだそうです。そんな知識は無くても、穏やかな微笑みをたたえた素朴な円空仏の姿は、大きな優しさを感じさせてくれます。何度でもお会いしたくなる仏像です。

工芸の最高峰

円空あれこれ

円空は、江戸時代前期の行脚僧であり、全国に木彫りの「円空仏」とも呼ばれる独特の作風を持った仏像を残したことで知られています。円空は生涯に12万体の仏像を彫ったと伝えられ、現存するものでも5000体を超えます。円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県まで及びます。その中でも、岐阜県飛騨、美濃地方、愛知県尾張地方の各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されています。愛知県内で3000体以上、岐阜県内で1000体以上を数えます。多作ですが、円空の作品のひとつひとつがそれぞれの個性をもっています。

円空仏の扱い

円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのですが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあったそうです。ちなみに円空仏はデザインが簡素化されていて、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てています。一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来しますが、多数の彫刻刀によって丹念に彫られているお像でもあります。

うまい棒で円空さん?

仏像彫刻のすゝめ