円空仏と仏師

円空仏と仏師

東京国立博物館140周年 特別展

展示されている円空仏(1)

展示されている円空仏(2)

円空と長間薬師寺

円空と高賀神社

円空仏と仏師

円空と千光寺

円空と栃尾観音堂

仏師とは

仏師の歴史(1)

仏師の歴史(2)

円空仏と仏師

円空と千光寺

円空仏がここ千光寺に63体もあることから、円空と千光寺の深い関係が伺われます。

円空と千光寺の関係

円空仏がここ千光寺に63体もあることから、円空と千光寺の深い関係が伺われます。北海道から奈良県まで各地の霊山を巡り、生涯で12万体の仏像を彫ったという円空は美濃国(今の岐阜県)出身。江戸時代前期(1632-1695年)の修験僧で、全国に「円空仏」と呼ばれる木彫りの仏像を残したことで知られています。円空が千光寺を訪ねたのは、貞享2年(1685)であったことが、弁財天座像(県重文)の厨子に記された年号からはっきりしています。円空54歳の時のことになります。円空は千光寺でその次の年まで一年近く滞在して多くの仏像を残し、さらに「袈裟百首」という歌集も残しています。千光寺を拠点にして飛騨各地を巡ったようです。

千光寺

千光寺は、約1,200年前に弘法大師の10大弟子の一人真如親王によって建立されましたが、永禄7年の武田軍の飛騨攻めの時焼け落ち、後の飛騨国主となった高山城主金森公が再建したのが現在の堂宇であり、高野山真言宗の修禅観法の道場として山岳仏教の古風を伝えます。

千光寺の円空仏

千光寺に入ってすぐ目にするのが、立木仁王像のうちの一体である立木仁王像(県重文)です。この立木仁王が有名なのは、彫られた時のことが「近世畸人伝」(寛政2年(1790)伴蒿蹊著 三能思考挿絵)に挿絵入りで紹介されているからです。ここで言うところの畸人は奇人ですが、今の奇人(変わった人)とは意味合いが違うようです。蒿蹊は、地位や名誉や金銭と言った世俗的なものを追い求めるのではなく、ひたすら道義を守ったり、美を追究する人を肯定的な意味で「畸人(奇人)」と呼んでいます。池大雅や中江藤樹などとともに円空が取り上げられているのです。

千光寺にある円空仏

両面宿儺(りょうめんすくな)
円空の晩年作の中で最高傑作と評価されている仏像です。貞享3年(1686)高さ87.5cm。両面宿儺は、飛騨の国を統治していた豪族で、約1600年前に千光寺を開創したと伝えられている人物です。日本書紀巻第11仁徳天皇65年に出てきます。そこでは、大和朝廷の皇命に従わない化け物扱いを受けています。体が一つ、顔が前後にあり、手は4本、手には弓矢を持つという姿に表されています。円空は、それを変えていて、顔は善悪を表し、善面を前にして、弓矢を斧に変えています。飛騨の国では両面宿儺はなじみのある英雄なのですから、円空も飛騨の人々の気持ちを共有して彫ったのでしょう。
賓頭廬像(県重文)
「円空自刻像」だとも言われているこのお像は、なでられて黒光りしており「なでぼとけ」と言われているようです。親しみやすい温和で笑みをたたえている像であるので、参詣者から慕われ愛され頼りにされてきたのでしょう。そして、彫りあとと木目が微妙に交差したり平行したりしておもしろい効果を上げています。「円空自刻像」だとも言われていますが、梅原猛さんは、上の両面宿儺こそ仏になった円空の自刻像だと言い、そうなるとこの賓頭廬さんが自刻像であるはずがないという説もあり、この像は千光寺の畏友であり恩人である畸人俊乗ではないかとも言われています。
三十一体観音像
この諸像は「丸太(サワラ)を四ツ割にして4体刻んだものです。千光寺のパンフには2体失って31体になっていると書かれていて、三十三観音という説明になっています。鉈ばつりの素朴な造りであり、非情におだやかな円空仏の特徴をただよわせています。

円空と書物

円空のことが書かれている書物は、3冊あるようです。円空が長良川の自坊弥勒寺(岐阜関市)近くで入定(断食して穴の中で即身仏となり、弥勒如来が出現される56億7千万年後に役立てるように肉体を残すこと)するのは、元禄8年(1695)64歳の時だそうですから、一番近い資料でも三十年以上経っています。今、問題にしている「近世畸人伝」は死後約100年に書かれたものです。しかしながら、円空の自伝や旅日記紀行文などが残されていないので、この三つの書物の記述は円空研究の基礎資料になるものと言えます。

円空の履歴

円空上人は寛永9年(1632)に生まれました。「近世畸人伝」(1790)によれば、出生の地は美濃・竹ヶ鼻(羽島市)で、幼少の時に長良川の洪水で母親を失い、菩堤を弔うために出家し白山や伊吹山などで修行を重ねてきたとされています。修験道の世界では生涯をかけて成し遂げなければならない修行の一つとして「造仏」があり、円空もその教えに従い12万体にも及ぶ木彫りの仏像を作り、みずからの悟りを開こうとするとともに厳しい生活にあえぐ人々の幸福を願ったのです。

円空と仏像

江戸時代・17世紀後半、円空は訪れた土地の木を素材に仏像を造りました。北海道から近畿まで諸国を巡った円空は、滞在した村に仏像を残しました。自然の木のまま、マキ割り用の鉈やチョウナをふるい、鑿や小刀でざくざく彫りました。木の生命力を感じさせる荒々しい彫りで、大胆に省略したお像ですが、人を引きつける温かな微笑をたたえています。現在、5000体を超える作品が知られ、出生の地である岐阜県と隣の愛知県に集中しています。

円空仏の代表な技法「鉈ばつり」

鉈を上から下に振り下ろす(はつる)ことによって、木材をダイナミックに刻み、力強い躍動感を与える円空円熟期の作風は「鉈ばつり」と呼ばれ、円空仏の代名詞ともなっています。これは、ある種の潔さと強い決断とスピードが要求される技法です。そんな円空独自の鉈彫りの妙技が立体的造形美として表現された代表作が、丹生川村・千光寺の両面宿儺像です。まるで燃えさかっているように逆立った髪型は、まさに鉈彫りによるもの。それに加えて、平ノミ、丸ノミ、角ノミなど、10種類ほどのノミを使って仕上げています。

工芸の最高峰

千光寺円空仏寺宝館

千光寺円空仏寺宝館は千光寺本堂横にあり、63体の円空仏を安置・展示しています。憤怒と柔和の両方の顔を持つ両面宿儺[りょうめんすくな]や、泰然自若とした表情の金剛童子をはじめとした円空仏の傑作や、円空直筆の歌集、円空画像も見ることができる。また、室町時代の書字大般若経[だいはんにゃきょう]や、1546年(天文15)の銘を持つ梵鐘など、古くから伝わる寺宝も公開しています。円空仏寺宝館は、円空の作品が約60点展示されており、円空と千光寺の関わり合いを知ることが出来ます。作品は、両面宿儺像や護法神などが有名です。

千光寺円空仏寺宝館案内

うまい棒で円空さん?

仏像彫刻のすゝめ