円空仏と仏師

円空仏と仏師

東京国立博物館140周年 特別展

展示されている円空仏(1)

展示されている円空仏(2)

円空と長間薬師寺

円空と高賀神社

円空仏と仏師

円空と千光寺

円空と栃尾観音堂

仏師とは

仏師の歴史(1)

仏師の歴史(2)

円空仏と仏師

展示されている円空仏(2)

不動明王は大日如来の化身。

「飛騨の円空─千光寺とその周辺の足跡─」で展示されている円空仏

引き続き、円空の展覧会「飛騨の円空─千光寺とその周辺の足跡─」で展示されている円空仏についてまとめました。

円空仏「仏不動明王立像」
不動明王は大日如来の化身で、猛火の中に身を置きながら悪鬼や 罪を打ち破るゆるぎない堅固さ、「動かざる者」を意味します。顔に皺を刻み、右眼は見開き左眼をすがめて天と地を睨みつけ、 閉じた口からは牙を右上と左下に出しています。本来は憤怒の形相ですが、ここでは3体とも親しみを覚えました。 不動三尊像は台座裏の銘文から、円空生誕の地に近い尾張一宮の 真清田神社の東神寺にあり、江戸時代後期に中井御霊神社の 別当不動院に移されたとあります。 明治の神仏分離で廃寺となってからは、中落合の人々に守られて 大正3年(1914)に不動堂を建立して安置されたそうです。
円空仏「仏如来坐像」
阿弥陀如来坐像:通肩に衣をまとい、膝の上で弥陀の定印を結び蓮台の上に坐しています。印相と背面の墨書から阿弥陀像であることがわかります。
円空仏「仏迦楼羅(烏天狗)立像 」
迦楼羅とは、八部衆、二十八部衆、観音の三十三応現身として造られるもので、このように単独で信仰されることはありませんが、円空は、この仏像を護法神か秋葉権現として造像したのではないのでしょうか。火難除けの神として造ったと感じます。お像の口が嘴のように尖るために迦楼羅、または烏天狗と後から付けられたのではないしょうか。
円空仏「仏護法神立像・善財童子立像」
円空ならではの素朴な美しさを持つ作風が感じられるお像です。護法神と善財童子の立像各一体が残っています。善財童子立像は一時風雨にさらされでもした為か、風化した部分が見られ、かえって木目が浮き出し独特な雰囲気をかもし出しているお像です。
円空仏「不動三尊像」
不動三尊像は、印象としては、初期の作像かもしれません。 円空の不動明王は作風もいろいろで、発見があって楽しいです。 不動明王の右に随う制咜迦童子は棍棒を立てて両手で押さえ、円空仏本来の素地ではなく彩色されていました。怒りの眼がまんまるに彩色されています。不動明王の右の脇腹は彫って透かしてあります。光背と持ち物、台座は後世のものでした。 千光寺などの円熟期の不動明王と比べ、左肩に垂らした弁髪の先は 巻き毛で、裳はあっさりしています。 左の矜羯羅童子は合掌して謹み深く細い眼をしています。 千光寺所蔵の、素地の芸術性をあらためて認識しました。 しかし、円空は衆生のために利他に徹して作像したので、彩色に ついてはむしろ微笑んでいらっしゃると思います。
円空仏「狛犬」
円空の狛犬が数多くあるのは、全国で高賀神社だけです。高賀神社には、円空の狛犬が大小あわせて4対と1体、計9体の狛犬が残されています。円空は、高賀の地に何度来ても狛犬が無いのを気にかけ、来るたびに狛犬を奉納したと伝えられています。一番大きな狛犬は高さ98.5センチもあり、一番小さいものでは、高さ7.2センチと大変可愛らしいものまで保存されてます。現在、高賀神社にある狛犬(石作り)は2対ありますが、一対は本殿前にあり大正時代の作、もう一対は平成になってからの新しい狛犬です。
円空仏「仏迦楼羅立像」
インドで古くから信じられてきた異教の八つの神を集めて、仏教を保護し、仏に捧げ物をする役目を与えて、八部衆とします。仏教の教えに基づいた神ではないので、その生い立ちや性格、また姿やかたちは様々に説かれ、複雑で不明な部分が多くあります。仏教に取り入れられてからも、異教の神の姿のまま表現されることが多いのです。
円空仏「仏男神坐像」
上半身を衣で覆い、下半身は台座と一体化したように表しています。円空が刻んだ神像としては東北地方で唯一の存在です。こうした様式は円空が像を刻み始めた岐阜美並村の神像とほぼ一致しており、円空が蝦夷渡海の前後に津軽半島を訪れた際の造像と考えられます。津軽、下北半島に残る円空仏と比較して、より手慣れた表現を示しています。
円空仏「仏薬師如来坐像」(1)
高さ35.8センチメートル、大木の周辺部材を木裏から彫像しています。印相は衣の下に隠れた形で不明ですが、寛政4年(1792)の禅桂寺の過去帳には「円空作薬師如来一体、施主富治郎母」とあり、この像を薬師如来と考えていたことがうかがわれます。富次郎は藤生氏で、天保14年(1843)76歳で死去した生糸・絹商人です。円空(1632~1695)は江戸時代前期の遊行僧・修験者で、諸国を遍歴行脚して布教の傍ら仏像を安置しました。
円空仏「仏薬師如来坐像」(2)
円空は僧であり、いわゆる専門の仏師ではありませんでしたが、素朴で個性の強い、独自の様式の像を刻んでいます。それは、ナタ彫りといわれるもので、木肌に荒く鋭くノミを切り込み、そのタッチは大胆奔走、素朴ながら完成された美しさを見せています。彼は12万体造像を志したといわれれますが、現在5,000体以上が発見されています。上野国(群馬県)には、延宝9年(1681)貫前神社に滞在して、同社の大般若経等を転読し、各地で造像した後、上野国内から日光に渡っています。この像もこの頃作られ、その後数百年を経たのち、藤生家から禅桂寺(みどり市東町花輪の祥禅寺の末寺)に納められたものです。現在は松源寺(大間々町塩原)に安置されています。
円空仏「仏宇賀神像 」
「蛇のからだに老人の頭をつけています。」と解説だけ聞くとさぞかしオドロオドロシイものかと構えてしまいますが、実際は10センチちょっとのマスコットのような仏像です。

工芸の最高峰

円空の和歌集「仏袈裟山百首」

最後にご紹介する円空の展覧会「飛騨の円空─千光寺とその周辺の足跡─」での展示品は、お像ではなく円空自作自筆の和歌集、『袈裟山百首』です。表紙は田中大秀が改装したもの「右百首者円空上人自筆袈裟山千光寺什物也、寛政九年丁巳林鐘、改表紙、高山田中紀文花押」と奥書があり、巻頭に「けさの二字に男童子歌百首作者円空」とあります。貞享年中、千光寺滞在のとき、山号の2字を1首毎に読み込んだ歌です。巻頭に円空の達筆の梵字が書いてあります。

文字

この歌集の文字は円空の書としては力を抜いた優美な書風といえるでしょう。百首の和歌は袈裟山の3字を詠み込むために、苦心したことが伺われます。造像と布教に全生命を打ち込んだ円空ですが、袈裟山百首をみると、生活の歌、自然にとけ込んだ歌、恋歌まで余裕を感じます。また、武儀郡洞戸村高賀神社にも、袈裟山の歌が遺されています。

数首

数首は『とぶ鳥の声もきこえぬけさの山ふかき心を人にかけぬる 春たてば消える氷のけさの山かかる心にわれはとけなん けさの山しかもかくすか春霞かかる枝に花や咲くらん』。

まとめ「展示会で円空仏の魅力を感じる」

その土地の自然の一部(木)を用いて、その土地の人のニーズに直結した仏を彫った円空。そして最も大事なのはその数多の仏に円空の「心」が込められている点です。シンプルで簡潔な表現の一見誰にでも作れそうな仏にも関わらず、ぐいぐいと展示ケースに額をこすりつけんばかりの勢いで食い入るように魅入ってしまうのはそこに「魂」が未だ宿っているからに違いありません。是非、皆様も円空の魅力を感じてみては如何でしょうか。

うまい棒で円空さん?

仏像彫刻のすゝめ
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